山城屋酒造のストーリー
山口の歴史とともに歩みつづけ、創業400年
慶長16年(1611)、毛利氏の家臣であった山城安部が現在の山口市で酒造りをはじめます。明治27年(1894)に、当時神職であった宮﨑氏が酒造業を引き継ぎ、山口の地酒「鴻城乃誉」「杉姫」の製造を開始しました。少しずつ軌道に乗りはじめた山城屋酒造の酒造り。しかし昭和50年(1975)に、仕込み水の水質悪化で、自社醸造を中断することになります。その後山城屋酒造のお酒は、ほかの酒造への委託製造を余儀なくされました。
「山口の日本酒の魅力を伝えたい」
熱い思いが復活へとつながる
平成26年(2014)、当時の社長・宮崎展一は、約30年間他社に委託していた酒造りを再開させようとします。展一は昭和初期に山城屋酒造でつくられていた「鴻城乃誉」の研究を独自に進めていました。「山口の日本酒の魅力を多くの人に伝えたい」という思いが、原動力となっており、山口県周南市の酒造の協力のもと、先々代が造っていた「鴻城乃誉」を復活させました。山城屋酒造の新たなスタートです。しかし努力が実を結びはじめた矢先に、展一は病気で急逝します。
右も左もわからなかった社長業
展一の遺志を継いだのは、姉の朋香。「弟が必死に復活させた伝統の味を守りたい」そんな思いで、長年従事した接客業を辞め、家業を継ぎます。しかし酒造りや経営に関しては何もわからない状況でした。拍車をかけるように社員の退職も重なり、苦しい状況が続きます。朋香はどんな時も諦めず、前を向いて行動しました。朋香の懸命な姿から、山城屋酒造を一緒に建て直したいメンバーが少しずつ増えていきます。心強いメンバーと、さまざまな挑戦をします。
日本酒を身近に楽しんで欲しい気持ちから
女性向けの日本酒を開発
朋香が手がけた女性向けの日本酒『Princess』。「女性が手に取りやすい日本酒があったらいいのに。」そんな朋香の思いから、これまでの日本酒への違和感を払拭するお酒が誕生しました。パッケージデザインからお酒の味わいの細部までこだわり、季節のフルーツや生ハムやチーズなど、洋食の前菜に合うお酒を一から立ち上げました。
山口の地元商店街を盛り上げるため
空き家活用プロジェクト
朋香のチャレンジはまだまだ続きます。令和3年(2021年)には、人口減少の地域の活性化や、地元の商店街を盛り上げるため、山口の大学生と共に山城屋酒造の隣の空き店舗を活用するプロジェクトを立ち上げました。空き店舗はレンタルスペースに生まれ変わり、地域の方々に利用されたり、山城屋酒造のイベントをおこなったりしています。また、山口だけではなく、他の地域の方にも山城屋酒造のお酒を届けるため、販路拡大を目指したクラウドファンディングもおこないました。
山城屋酒造は、山口を愛する方々と、山口の厳選された米と水で製造し、山口の自然を味わえる酒を、山口の歴史に寄り添いながら400年造ってきました。 400年続く歴史と酒は山城屋酒造だけではなく地域の財だと感じています。地元山口では、観光名所の湯田温泉や、山口名物の瓦蕎麦が味わえるお店でも山城屋酒造のお酒を楽しんでいただけます。
山口県で造る日本酒の美味しさを届けるため”失敗を恐れず前向きに”をモットーに、これまで数多くの挑戦を続けてきました。 その挑戦の裏側には、応援していてくれる地元山口の皆様の支えがいつもありました。これからも多くの方に愛され続ける酒造りを目指し、山口の皆様とともに発展させていきたいと考えております。
さらなる挑戦として、首都圏にも進出
地元・山口で愛されている山城屋酒造のお酒は、現在首都圏でも飲めるようになっています。東京虎ノ門にある「The Okura Tokyo」の 日本料理「山里」ではフルーティーで繊細な味わいが首都圏だけでなく海外のお客様にも好評をいただいています。山口市内から日本中に、地元密着でつくる山城屋酒造の日本酒を広めたいと思っています。丹精込めて作った日本酒をぜひ皆様にも知って・飲んで・好きになっていただきたいです
造りのこだわり
山口大神宮の神様の水
山口県山口市には、山口大神宮というお宮があります。山口大神宮は、昔は遠くて伊勢まで行くことができない西の地方の方のお参りする神社としても栄え、古くから「西のお伊勢さま」と呼ばれ人々に親しまれてきました。山城屋酒造の日本酒は、山口大神宮の伏流水、神様の山の水を使用しています。この湧水は、山口三名水のひとつとされており、柔らかい味わいが特徴です。
山口県産にこだわった化学肥料不使用の米
山口県産へのこだわりはお米にも込められています。お米は、山口市阿東徳佐の契約農家が栽培する山田錦を使用しています。化学肥料不使用のため、雑味が少なく、きめ細やかな味わいをつくり出しています。
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